気まぐれ日記 07年6月

07年5月はここ

6月1日(金)「長い一日・・・の風さん」
 執筆のために緊急臨時有休をとった。いよいよ追い詰められている。再び、GWの終盤と同様に、モバイルパソコンのアシュレイを書斎から居間へ持ち込んで、なるべく資料調査をしない態勢を整えることにした。そうは言っても、相変わらず準備に時間がかかる。あれこれと雑用を片付けているうちに、早正午を過ぎた。
 今日は地元の図書館へ相互貸借本を返却する期限の日でもあったので、急いで返しに行った。空が気持ちいいほど青く晴れ渡っていて、身内に力がみなぎってきた・・・が、帰宅して昼食をたっぷり摂ったらモーレツに眠くなってしまい、夕方まで昼寝してしまった(笑)。
 やっと起き出して、アシュレイに向かったが、書きかけの原稿を頭から読むだけでけっこう時間を食う。しかし、思い出すためにもこの作業は必須である。
 夕食後、休憩を兼ねて、会社のサーバーにアクセスしてメールチェックしたら、色々な情報が得られた。
 この間職場をご案内した九州大学の先生から返信メールが入っていて、拙著を大学の図書館に収蔵するように働きかけてくださるとのこと。ありがたい。
 勤務先の人を通じて企画が進んでいた私のもう一つの講演がほぼ決まった。前に決まった講演よりもひと月早く10月になる。講演は平日に開催されるので、いくら会社の人の紹介とはいえ、有休を取らねばならない。しかし、これも非常にありがたいことだが、聴講者に『円周率を計算した男』が配られる。恐らく100冊以上がさばけるだろう。頑張らねば。
 夕食のときに思いっきり唇を噛んでしまい、痛いだけでなくひどく落ち込んでしまったが、何とか書きかけの原稿をレビューし終わった。これで明日から、新しい部分を書き出せる。
 そこでYahoo のニュースをチェックしたら、俳優の石立鉄男の急死が報じられていた。「奥様は魔女」で笑わされ、「パパと呼ばないで」では毎週泣かされた名優である。これらテレビドラマはよく知られているが、私にはもう一つ印象的な彼の演技が脳裏に焼き付いている。それは確か大映の映画で原田康子さんの原作の「殺人者」である。石立鉄男の代名詞のようなあのヘアースタイルになる前で、若いに似ず迫真の演技力に圧倒されたのを記憶している。
 64歳だったという。惜しい俳優を亡くした。合掌。

6月2日(土)「本山キャンパス往復の巻」
 昼から本山キャンパスへ出かけた。
 事務室に寄って確認すると、新しいパンフレットができていた。私が学生として「先輩からのメッセージ」の欄に出ているのである。そもそも気に入って入学したのだから宣伝活動、広報活動には大いに協力するつもりだ。早速、来週の土曜日の午前に、若手生産技術者に講演する機会があるので、そこで自分の話しをし、興味を持ってくれた人にはパンフレットを渡そうと思う。
 「少し多めにもらえませんか」
 と言ったら、梱包したまま持ってきた。ちょ、ちょっとそれは多すぎる〜。
 とりあえず10冊もらった。
 1時から大野先生の前期課程の学生向けワークショップがあったので聴講したが、すっごく難しかった(^_^;)。
 その後、大野先生から、附属図書館で手に入れてもらった文献のコピーをもらい、分類しながら、今後の進め方を相談した。
 自分の担当分がたくさんあるので、目の前が真っ暗になった。
 今日は、往復の電車の中で執筆用の参考文献読みをした。定期券の減価償却が着々と進んでうれしい。
 しかし、帰宅したらどっと疲労が出てぶっ倒れてしまった。

6月3日(日)「いかに小説執筆は難しいか・・・の風さん」
 普段通りに7時に起床した。今日こそ執筆を進めなければ。
 最初に、1時間に1節ずつ仕上げていこう、と固い決意のもとスタートしたが、あれよあれよというまに、いつもの緻密なペースになってしまった。この性格、なんとかならんのかねえ?
 昼食後、9日(土)の講演資料作成にちょっと手をつけたら、そのまま2時間半もぶっ続けでやってしまった。お陰で、ほぼ9割がた完成してしまった。講演資料作成と小説執筆の難易度の差がいかに激しいか、あらためて納得した。
 その後、再び執筆に戻って、苦しみながらもいくらか進展させた。
 夕食時にビールを飲んでしまったので、執筆をしばらく諦めて書斎へ。9日(土)の講演の前刷り資料を完成させて、事務局へ送付してしまった。あとは、動画を貼り付ければ、本番資料は完成する。ほとんどできたも同然だ。
 よし、今週も執筆に専念するぞ。

6月4日(月)「ミッシェルもボケ症状?・・・の風さん」
 情けないことだが、ボケ症状を頻繁に感じる今日この頃である。もし頭蓋骨をパカッと割って内部を詳細に観察してみたら、あちこちのボルトが緩んでいることだろう。
 今日は比較的会議が少ない1日だったので、かなり自分自身の仕事をこなすことができた。帰りにミッシェルに給油する必要があったので早めに退社した。
 まだ外はいくらか明るい。ミッシェルに乗り込んだ瞬間、助手席のシートの上に怪しげな物体を発見した。
 (黒いタッピングスクリュ・・・?)
 おっと、やや技術的な表現になってしまったか。先がとがっていて、頭が丸く、黒染めしたねじが座席の上に落ちていたのである。十字が刻まれた頭の大きさは、直径10ミリくらいである。
 ミッシェルは2シーターで、たためる幌がついている。蛇腹式に動くから、機構学的にリンク部品が多い(おっと、また技術的な表現・・・27年ぶりに大学院生を再開したので、言い回しが変わってきたか(^_^;))。ねじも多いから・・・と、コックピットを内側から点検してみたが、異常個所は分からなかった。
 ま、いずれにしても、オーナー同様に、ミッシェルもガタが生じてきたようだ。
 帰宅し、昨日の余勢をかって執筆と思ったが、どうにも疲れが出て(これが最近の弱点だ)、執筆以外の仕事を片付けることにした。9日の講演の準備をし、葉書を1枚書いた。それだけでも結構時間がかかってしまった。最後は駆け足で入浴してベッドに飛び込んだ・・・瞬時に爆睡(この間に、ペコが今シーズン2匹目のゴキを捕まえたそうだ)。

6月5日(火)「日本人研究者は緻密だなあ・・・の風さん」
 出勤時にミッシェルの内部を再度点検したら、タッピングスクリュの外れた位置を発見した。助手席側のサンバイザーのステーを留めている2本のうちの1本が脱落していたのだ。プラスドライバーを持っていないので、元通りにすることができない。そのうちやろう。
 今日も、会社では会議がほとんどない。主力メンバーがごっそりと出張に行っているからだ。
 午前中に、デスク上のパソコンに向かい、自分自身の仕事を精力的にこなした。
 午後から、英語の文献を読もうと思ったが、いきなりフルペーパーを読んでも分からないので、文献の分類をしたり、手に入れた日本語の文献を二つ読んでみたりした。
 日本語の文献を読んでぶったまげた。
 海外の文献を詳細に読み込んで分析・理解しようと思っていたことが、既に20世紀末になされていたのだ。さすがに日本人の研究者はやることが緻密だ。新たに勉強すべき文献もぞろぞろ出てきたし、私が切り込むべき研究分野がだんだん狭まってくるのを感じた(これは脅威である)。

6月6日(水)「私はいったい何をやっているの?・・・の風さん」
 毎日忙しくしているが、思ったように仕事がはかどっていないのが悩みである。しかし、どうやらそれは本人の欲張りな性格のためのようで、周囲からは「くれぐれも御身大切に」とか「どうかご自愛ください」といったメッセージを頂戴する。つまり、無理しているらしい。身の程知らぬ愚か者、と言い換えてもいいだろう。・・・と納得しなければいけないのだが、そこが愚か者の愚か者たるゆえんで、実力以上のことをやろうとするしやりたがる。たまにできるとそれが次の無理の必然的条件となり、また無茶な目標を設定してしまう。
 早朝から本社へ出張した。同僚数人に、入手したばかりの愛工大大学院のパンフレットを自慢げに見せた。私の写真が出ているヤツだ。「できるだけ低い前例を作ったから、君たちをこれを易々と乗り越えていくんだよ」などと、先輩ぶった発言をしてひんしゅくを買った(笑)。
 製作所に移動して(お、これでは本社で仕事していないみたいだ)、4週間に1度の高血圧の経過観察を受けた。上が110台で下が70台、と信じられない正常値。
 「心身ともにリラックスできているのではありませんか」
 とドクターに言われるかと一瞬ヒヤッとしたが、さすがに医者は言うことが違う。
 「薬でうまくコントロールできているみたいですね。このまま続けてください」
 ・・・納得。
 昼休みに、白金台二本榎の長谷川伸邸を管理している佐藤さんへ電話して、月末に五大さんを案内することを再度伝えて了解を得た。
 今日はやや遅く帰宅した。土曜日の講演資料のリファインをやっただけで、もう息切れ。
 日本文芸家協会から年会費納入の丁重なお知らせが届いた。年末年始とか年度末年度初めでないだけに、不意を突かれる印象は否めない。2万円は、今の私には痛い。

6月7日(木)「雀と亀とコクワガタ・・・の風さん」
 工場に勤務していると、こんなことがある。だんだん気候が良くなってくると、窓を開けることがあって、雀をはじめとする野鳥が屋内に飛び込んでくる。中に迷い込んでしまうと容易には脱出ができない。そういう鳥たちは、一夜明けると床に落ちて死んでいる。だから、見つけたらできるだけ近くの窓を開けて逃がしてやろうとする・・・が、うまくいことは少ない。
 今日も、出社時に、高い位置の閉まった窓のあたりでバタバタしている雀を見た。とても手が届かない窓なのでどうしようもない。退社時に、同じルートを通ったら、どこかで雀の鳴き声がする。しかし、姿は見えない。今朝の雀だろうか。工場なので配管も多く、鳴き声が反響しているので、どっちの方角へ行っても、鳴き声は聞こえるが姿は見えない。諦めて、ドアを開けて外に出たら、何となく壁の中から聞こえていたような気がした。やはり配管の中にもぐりこんでいるのかもしれない。すれ違った知り合いにそのことを告げたら、壁から突き出ているダクトを出入りしているのを見たことがあるという返事だった。
 駐車場までの道のりも鳥の声がかまびすしい。日が長くなって、明るいうちに帰れるのは気持ちが良い。
 田園風景の中をミッシェルを走らせていると、前方の路面にのろのろと横断する物体を見た。
 (亀・・・じゃないか)
 周囲は田植えが終わって水が満々と張られている。気を付けて見ると、路面に、轢かれたばかりの肉塊がいくつかある。どうやらそれは亀らしい。亀の生態は知らないが、この季節、亀は亀の事情で、道路の反対側から反対側へ移動しなければならないのかもしれない。
 横断中の亀の手前でミッシェルを停め、対向車が来なくなってから、大きく迂回して首を縮めてうずくまっている亀の横を通り過ぎた。
 帰宅したら、ワイフが昨夜もゴキが出たという。場所は、我が家で飼っている亀(名前は亀子)の水槽の近くである。
 夕食後、疲労がどっと出て、亀の水槽の近くで寝込んでしまった(ゴキがまた出たかは知らない)。夜中に目覚めてコクワガタのクワタンに水を水吹きで与えた。
 私の生態と動物の生態の間に違いはあるのだろうか。

6月8日(金)「クワタンが〜〜〜・・・の風さん」
 帰宅したら、辻真先先生の新刊が届いていた。沖縄軽便鉄道に続く鉄道ものの作品で、今度は満州鉄道だ。タイトルは、『あじあ号 吼えろ!』(徳間文庫)である。それにしても分厚い本だ。私がのろのろ執筆している間に、辻真先先生は、それこそ機関車のごとく力強く執筆を続けておられるのだろう。
 明日は朝が早いので、焦りまくって、用事を済ませ、いよいよ就寝する直前、日課にしているクワタンへの水やりをしようとした。虫かごを電話台の下から引っ張り出して、小窓を開けた。そのとき、何となく不吉な予感がしたので、上蓋を全部外して、登り木をよけてみたら・・・
 「ク、ク、クワタンが〜〜〜〜」
 「死んでるの? わー、聞きたくない」
 とワイフ。
 「死んでるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・」
 と私。
 昨年の6月26日に外で乾して取り込んだ洗濯物の中から突如現れたコクワガタだった。
 この土地に越してきた年にも、春先、私が道端で拾ったコクワガタの「クワガタマスミ」は、今大リーグで登板の機会を狙って・・・じゃなかった、3年間飼育して大往生した。コクワガタの寿命は、だいたい3年なのである。だから、クワタンも3年の寿命を全うさせるべく、大事に育ててきたのに・・・。
 残念である(涙)。
 「ねんごろに葬ってあげようね」
 とワイフ。
 「うん」
 と私。

6月9日(土)「経営情報科学ドクターコースには多彩な学生たちが・・・の風さん」
 5時に起きた。今日のスケジュールは密度が高いのだ。
 書斎で用事を済ませたあと、キャリアーバッグにしこたま荷物を詰めて、ワイフにクルマで駅まで送ってもらった。駅のホームに立ってホッとひと息つくと、ケータイを忘れてきたことに気が付いた。
 特急電車に乗車した。読みかけの執筆のための参考図書を開く。
 金山駅で降りて、地下鉄に乗り換えた。参考図書の続きを読む。
 市役所駅で降りて、たんまり歩いて、某ホテルに到着。日本能率協会主催の第18期生産技術研究部会の合宿研修の二日目に合流。8時40分から1時間半の講演を行った。タイトルは『これからの生産技術と生産技術者の役割について』(事務局から頂戴した)である。私の27年間の会社生活をベースにした話をした。メーカーにとっては、モノづくりは経営そのものである。皆さんは非常に重要な仕事をしているのだ、ということを、私の経験を元に語ったのである。しかも、私生活(つまり作家としての生き方)も含めて。そして、27年たった今、実感したそのことを学位論文にするべく社会人入学までした、というオチをつけた。振幅の大きな話だったが、きっとこの想いは伝えられたと思う。
 私の後、もう1件の迫力ある話があった。私は大会社の中で、先輩に導かれて良い仕事ができたのだが、その方は、自ら発案して会社にとって重要な仕事を作り、自らそれを実践されたのである。とても真似できないすばらしい会社人生だと思う。
 昼過ぎにそこを引き上げて、地下鉄で本山キャンパスへ向かった。愛工大の大野先生も一緒だ。実は、私の講演も聴講してくださったのだ。
 昼食を摂っている余裕はなく、そのまま大野先生のワークショップを1時間半聴講した。
 それが終了してから、二人で、キャンパス1階にあるカフェショップで昼食にした。
 それから、自習室で参考文献の検索を二人がかりで取り組んだが、今日はあまり収穫がなかった。
 4時から、教授陣を交えて、経営情報科学の博士課程後期に学ぶ学生が集まって、発表会があった。
 当初、この発表会というか、集まるドクターコース在学生は、ほとんど中国人ではないかと勝手に予想していたのだが、ほとんど日本人だった。
 大阪にある某大学の大学院ドクターコース3年目に在籍していながら、同時に愛工大のドクターコース1年目に入った人の発表があった。内容はともかく、欲張りな人だな、と自分のことを棚に上げて思った。質疑があって、意地悪な質問をする人もいた。
 ここで、面白いことが起きた。司会担当の教授が、ドクターコースの1年生だけ自己紹介させたのだが、8人いるうち、私が飛ばされたのである。
 「あのぅ・・・私も1年生なんですけどぉ・・・」
 と言ったら、隣の同級生が、
 「てっきり先生だと思いました」
 どうせ私は爺(ジジイ)ですよ(笑)。
 続いて、ドクターコース2年目の女性の発表があった。面白い切り口の研究で、興味深く拝聴した。それにしても配布した資料に基づく発表なのだが、プレゼンの力量にはほとほと感心した。
 活発な質疑が起きた。学生も教授も忌憚のない意見を述べるのである。指導教官の先生も、全く公平な意見を述べられて、それにも感心した。
 これはもしかすると、とても良い環境に飛び込んだのかも。
 6時過ぎから近くの居酒屋で懇親会となった。学生はほとんど社会人なのだが、歓迎の意味で、先生が多目に支払ってくれた。
 14人ぐらいで飲みながらの懇談になった。さすが人生経験の豊富な人たちばかりである。非常に盛り上がった。世界でビジネスを展開している中国人女性もいるし、バングラデシュから来ている人もいる。日本人も多彩で、私など普通。会社経営者もいれば、お役人もいる。大阪から来ている古書店の店長もいた。
 8時過ぎにいったん一次会をお開きにして、5人の学生だけで2次会をした。こんなにしっかり話をするのは恐らく初めてだろうが、やはり人生経験豊かというのが、話題が盛り上がる原因になる。
 結局、大阪へ帰る二人の新幹線の時刻に合わせて、ようやく2次会も終了。メーリングリストを作って、今度は学生だけで飲み会をやろうと誓い合った。
 午後11時45分ごろにワイフに最寄の駅まで迎えに来てもらい、長かった1日が終わった。

6月10日(日)「まだまだ書けなかった昨日と一昨日・・・の風さん」
 昨夜帰宅したら、新鷹会のアンソロジー第5弾『武士道日暦』(光文社文庫)のサンプルが届いていた。私がかつて『問題小説』に発表した「八寸の圭表」が収録されているのだ。文庫なので、解説のところを真っ先に読んで、今年もガッカリした。今回の第5弾には、勉強会のメンバー5人の作品が収録されているのだが、その5人分がたったの3行でおしまいである。
 ま、それでも、お世話になった人たちに配らなければならない。
 それから、昨夜は、大学院の懇親会がなければ、ワイフが買って用意してあったジャズライブに行くはずだった。結局、ワイフは友達と行き、非常に素晴らしい演奏で感動したそうだ。しかし、ボーカル1名とバンド5名が来ていたのに、非常に安いギャラで、もう二度と来てくれそうもない、とのことだった。昨日の私の講演料よりも低額だった。それじゃ来ないぜ。
 昨日の後片付けが色々とあるのだが、今日は執筆のための大切な日なので、食堂のテーブルに陣取ってせっせとアシュレイのキーボードを叩いた。根気よく頑張ったので、いくらか執筆が進んだ。
 夕食時に、ワイフがアサリの酒蒸しを作ってくれたので、冷酒を飲んだ。二人で一合飲んだだけなのだが、酔っ払ってしまった。疲れているのだろう。
 酔いの勢いで、昨日の講演資料を使ってワイフに講演を再現してみせた。
 「愛工大の宣伝をするなんて新しいパターンね」
 とワイフは喜んでくれた。
 最後に、ワイフが、実は・・・と怖ろしい話を切り出した。
 「クワタンが死んだ金曜日の夜、貴方が寝たあと、居間でゴキが出たのよ・・・」
 そのゴキは空飛ぶゴキで、ペコが第一発見者(猫)だったが、そのとき人の背丈よりも高いテレビボードの上にとまっていたそうだ。ワイフがゴキジェットを噴射すると、そいつはピアノの方へ羽ばたいて、幸福の木につかまったという。
 睨み付けるゴキに恐怖を感じながら、ワイフが再接近してゴキジェットを噴射すると、あろうことか、そいつはワイフに向かって飛んできた。そして、ワイフのスカートの裾につかまるや、中へ入ってきたという! 仰天したワイフは、大いに慌て、急いでスカートをばたつかせながら脱いだそうだが、床に脱ぎ捨てたスカートには、既にゴキの姿はなかったという。
 「今もこの部屋のどこかに隠れているかも・・・」
 ワイフの目は真剣だった。
 その話を聞いてすぐ、私は2階の寝室へ急いだ。さっさと寝るためだ。明日も朝が早い。

6月13日(水)「私にとっての其の一日・・・の風さん」
 昨夜は会議が熱気を帯びて長引き、帰宅が遅くなった。しかし、名古屋でひとり暮らしを始めた長女が久々に帰ってきて(近くても、これは帰省だな)、少し早い父の日プレゼントをもらったので、すぐに機嫌が直った(笑)。プレゼントの品はお洒落なワイシャツで、着る機会を選ばないといけない。また、長女と東京へ遊びに行こうか、と呟いたら、耳ざといワイフからイエローカードが切られた。
 今朝も早起きして執筆の続きをしてから、早朝の特急で出発した。いったん本社へ出て、午前中に重要な会議をいくつかこなした後、東京へ出張するのだ。昼食後に、私が客寄せパンダとして登場している愛工大大学院のパンフレットを、会社の同僚に自慢げに見せたら、すかさず「私のも見てください」と言って、ひきだしの奥から、早稲田大学のポストドク(博士号取得者向け)パンフレットが出てきた。カッコいいパンフレットで、インタビュー記事のトップに同僚が出ている。2007年版だから、出たばかりだ。
 「負けたよ」
 私はすごすごと同僚の前から霧か霞のように姿を消した。
 名古屋駅で新幹線を待つ間、待合室で英語の論文を取り出した。学業のために必要な参考文献である。電子辞書を準備し、老眼鏡をかけて、長い論文を読み出した。・・・と、ここのところ、ずっと頭痛の種だった英語の論文だったが、今回の論文は読める。オーラルは不得意だが、長文読解には多少自信のあった私だが、今まで読んでいた論文は、どうひいき目に見ても文法や語法がおかしかったのだ。それが、今回の論文の英文はまともなのである。
 (まともな英文の論文もあるんだ〜♪)
 予定したのぞみに乗り込んだら、今度は学生から作家に変身して、カバンの中から文庫本を取り出した。こいつも老眼鏡を使って読むことにした。目が疲れたら仕事にならない。
 午後6時からの会議は、長期戦になることなく終了し(最初から日帰りの予定なので)、同僚とともに最寄の駅まで行き、早目の新幹線に乗車変更し、品川から帰途についた。しかし、名鉄への連絡が悪く、名古屋駅で私は30分待ちになってしまった。
 自宅のある最寄の駅に着く直前に文庫本を読み終わった。一日で読破したのは、諸田玲子さんの『其の一日』である。なかなか勉強になった。(老眼鏡のおかげで読むスピードが早く、途中で居眠りをする必要もなかった)

6月16日(土)「今日も多忙な1日・・・の風さん」
 昨日は新鷹会の勉強会のあった日だ。ただし、普通の勉強会ではない。長谷川伸先生が存命の頃に開催されていた長谷川伸先生のお宅(現在は、財団法人新鷹会が管理)での勉強会である。長谷川先生がお亡くなりになったのが6月なので、毎年6月15日の勉強会は、白金台二本榎にある長谷川邸で開催することになっている。昨年に続いて今年も行けなかった。一つには、会社の仕事が緊急事態となっていて、トップと相談しながら進める必要があったからである。あとは、執筆も学業もピンチだからである。
 今日は、早朝から起き出して雑用を片付けた後、本山キャンパスへ出かけた。どんな服装にするかで激しく悩み、色々な組み合わせを試した挙句、何の変哲もない服装になってしまった。
 私と同様に超多忙の次女と同じ電車に乗ることになって、最寄の駅まで歩いた。日中の予想最高気温は30℃前後だったが、気持ちの好い青空が広がっていて、海から吹いてくる風も爽やかだった。
 名鉄と地下鉄を乗り継いで本山で降り、さっと昼食を済ませた後、キャンパスに入った。自習室に入り、1時間文献検索をした後、大野先生の難しいワークショップを聴講した。
 それから、二人だけのゼミを1時間半ほどやり、再び自習室に入って文献検索の続きをやった。今日だけでも気になる文献が大量に出てきた。
 5時前にキャンパスを後にして、地下鉄と名鉄を乗り継いで帰宅した。
 明日の執筆専念のため、今夜も雑用(?)に集中した。『数学セミナー』用の初校ゲラが出てきたので、著者校正をして返信の準備をした。新鷹会アンソロジー『武士道日暦』の送付依頼(宛名シール印刷も)や著者購入の手紙を書いた。「大衆文芸」8月号の執筆依頼確認の電子メールや往復ハガキの印刷もした。
 へとへとになって居間へ降り、ワイフと赤ワインを飲み始めたが、フルボトル1本を空けそうになった。飲兵衛夫婦になる恐れ大。

6月18日(月)「こんなに忙しくて執筆できるか?・・・の風さん」
 昨日は終日執筆に専念するのだと、気負いこんで一日をスタートさせたが、日ごろの運動不足と老化現象による体力低下が、ただでさえ弱い両腕両脚を引っ張って、なかなか思うように進まなかった。それで、また浮気心が出て、少しは雑用も片付けようと、ネットショッピングなどしてしまった(笑)。しかし、いくら何でももう締め切り寸前の土壇場なので、夜になってから、突然、火事場の馬鹿力が出たのか、猛烈な勢いでキーボードを叩き出した(半年遅いぜ)。
 今日も、会社は特別に休暇をとっているのだが、目の回る一日がスタートした。早朝に起き出して、昨日の続きの高速タイピング(笑)。朝食もそこそこにミッシェルで出発。雨のそぼ降る高速を突っ走って、某総合病院へ。1時間後の8時20分着。先ずは、採血。今回は通常の肝機能検査に加えて、アレルギー検査をオプションで盛り込んだ。季節の植物から、ペット、ハウスダストにいたるまで。結果が出るのは次回だが、ちょっと怖い。
 コーヒータイムにしてから某診療科へ。自分で採尿も。待たされている間は読書。それが終わって、次の診療科へ。今日の血液検査の結果は「問題なし」だった。
 今日の支払いはなんと1万円を超えた! オプションのアレルギー検査が余分だったのだ。処方箋にしたがって薬局から薬が出るのを待つ間も読書。
 病院を出たのは、午前11時ころだった。
 途中で郵便局に寄って、振込みを2件済ませた。1件は日本文芸家協会の年会費。
 さらに不本意ではあったが、勤務先の製作所に寄って、忘れていた仕事(だけ)をして即刻退社。
 帰宅したのは零時半ころだったが、ワイフはいなかった(笑)。自分で昼食を作って食べたら、例によって猛烈に眠くなり昼寝。寝ている間にワイフが帰宅。
 その後、書斎に入って執筆マシンを立ち上げたら、ショッキングなことが続けざまに起きた。

 知り合いの先生から勤務先の工場見学の依頼を受けたが、ちょっと難しい内容だったので、ひたすら丁重にお断りした(先生、ごめんなさーい)。『数学セミナー』に著者校正ゲラを送ったばかりだが、「執筆者のよこがお」ということで簡単なプロフィールと近況を書いてほしいということだった。すぐさま書き上げて送信。そうこうしている間に、某出版社の編集長からメールで「連休明けに原稿の企画をお知らせいただくはずでしたよね?」。これにはぶったまげて椅子から転げ落ちそうになった。これにも超慌てて、A4で2枚相当の企画書を書き上げ、謝罪文と一緒に返信した(冷や汗)。やっと終わったころには、もう夕食の時刻になっていた。
 さらに今日は、8月に松山へ行く、行きの航空券を手配する予定日で、早くも枚数が減っていたが、何とかゲットできた。夕食後も執筆を頑張った。
 今日は、今年通算28冊目の読書も完了。やれやれ。

6月19日(火)「雨の翌日は晴れだが・・・の風さん」
 今朝も5時過ぎに起床。昨日の雨は上がって、空は晴れている。小説の神様、僕の頭に降りてきてくだしゃい。
 今日は先ず名古屋へ出張しなければならなかった。製作所の最寄の駅までミッシェルで行って駐車場に停め、そこから電車で名古屋へ。午前8時半からナイショの会議を実施。目的を果たす。
 帰りの電車の時刻まで、ちょっと買い物。
 製作所に戻って、昼休みに記念植樹に参列した。製作所内に作った「憩いのパーク」の完成記念である。張ったばかりの芝が市松模様で地面に並んでいたが、会社の同僚が「根を張るのに喧嘩するから、全部埋め尽くすまで3〜5年はかかる」と言っていた。そんな先には、私はもうここにはいないだろう。もしかすると、この世からもおさらばしているかもしれない。あわわ。
 午後はまじめに仕事して(普段はふまじめ?)、早めに退社。
 久々に経費処理(支出状況を入力し、領収書類をノートに貼り付け)をしたが、通帳の金額はどんどん減っている。つまり収支は合っていない(笑)。
 今日は、松山からの帰りの航空券をゲットできた。また、通算29冊目の読書も完了。

6月20日(水)「今日もバタバタ風さんの巻」
 今朝は5時20分に起床し、出勤前にがけっぷちの執筆を1時間半やった。とにかくもう躊躇している余裕は全くない。ひたすら先へ書き進むしかないのだ。
 毎月ゼロの日(10日、20日、30日のこと)は「交通事故ゼロの日」で、朝の通勤時間帯は、交差点付近に立哨の市民がたくさん立っている。最近老化現象の激しい風さんとしては暴走運転もセーブしなければならない。
 午前中は戦略的な議論の会議であっという間に終わってしまった。
 昼休みにメールチェックしてみると、およよ、一昨日大慌てで企画書を送った某出版社から返信メールが来ているではないか。開いてみると、添付ファイルは私の企画書が丁寧に修正してあり、来週の企画会議にこれで付議するという。またまた驚き慌て(と言うより感謝の気持ちでいっぱいになり)、それを少しだけ修正させていただいて返信した。いくらなんでも100%甘えるわけにはいかない。また、執筆中の長編を出版する予定の出版社からもメールが来ていて、10月刊行は決まっているので、6月末にできたところだけでも見せてください、という内容だった。心優しいフォローだったので、これは命をかけてやらねばならない。もうがけっぷちを通り越している。
 外へ出て、自費出版のお手伝いをしているMさんと電話で相談した。何とか必要最少部数だけでも製本したいですねえ、という話をした。
 夕方から本社へ出張した。愛工大大学院のパンフレットを持って行き、同僚二人に自慢げに渡した。24時間以内にゴミ箱行きだろう(^_^;)。実は、参考文献の論文もカバンにしのばせてあったのだが、読む時間が全くなかった。
 トップ報告や上司との打ち合わせを終えて退社したのが午後8時半。9時半に次女と某駅前で合流し、ミスドで夕食にした。今夜はワイフが地域の婦人会のトールペインティング講師を務めているからである。運が良いことに、今日はほとんどのドーナツが100円だった。次女から「父の日プレゼントには物足りないかもしれないけど・・・」と言いつつ、ぜんまい仕掛けで歩くティラノサウルスをもらった。私がオモチャ好きな性格をよく知っている。
 帰宅したら、ネット注文してあったカバンが届いていた。柔らかな馬革で、ビジネスからプライベートまでの多目的である。収納がたくさんついていて楽しい。
 何とか午前零時前に就寝した。

6月21日(木)「あっけなく体力の限界・・・の風さん」
 昨夜は就寝が遅かったのに、今朝も5時20分に目が覚めた。これは使命感よりも老化現象かもしれない。
 1時間半の執筆ができたので、多少気分良く出社した。・・・しかし、時間の経過とともにどんどん体調が低下してきた。それでも一人三役の負荷はどっと身体にのしかかってくる。昼休みにメールチェックすると、幸いすぐにアクションを起こす必要のあるメールはなかった。こうなると、論文読みを進めなければならない。今月の9日と16日に入手した「ABSTRACT」の分類整理がまだだったので、それに取り組んだ。バラバラの「ABSTRACT」をひとつにまとめることから始めた。全部で26個もあるので、機械的な作業だが、だんだんパソコンを眺めているうちに目が回ってきた。
 夕方には本日の体力が切れた。
 帰宅したら楠木誠一郎さんから新刊が届いていた。おなじみの名探偵シリーズで、今回は『平賀源内は名探偵』(講談社青い鳥文庫620円税別)である。これまで次女がファンなのだが、最近忙しいから読めるかな。それより平賀源内はどちらかというと、私の執筆ジャンルとかぶっている。しっかり勉強させてもらうか。
 今夜はもうフラフラなので、10時に書斎を閉店にした。
 
6月22日(金)「静かな週末・・・の風さん」
 お世話になっている方々へ、今月出版された新鷹会時代小説アンソロジー『武士道日暦』を贈呈している。遠隔地の方々からはぼちぼち礼状も届いている。今日は、地元で配る分ということで、段ボール箱でどさっと届いた。
 そろそろ迷っていても仕方ないので、8月の第3回「全国和算研究(松山)大会」に正式に申し込んだ。
 
6月23日(土)「天気が好くても終日執筆・・・の風さん」
 終日青空が広がった。
 拙宅では、まだロール感熱紙のファックスを使用している。それが今日、数通のファックスを受信したため、残り少ないよ信号が出た。まだ焦って買うことないと思いつつ、夕方まで執筆が進んだので、気分転換に近所へ購入に行き、交換してみたら、もう1枚分の残りもなかった。

6月24日(日)「梅雨空の下、執筆は続くよ・・・の風さん」
 昨日とうってかわって今日は終日雨。
 庭を眺めると、紫陽花が咲き出している。紫陽花は雨がよく似合う。その横で梅の木が緑の葉陰に実をたくさん生らせている。真剣に収穫するとバケツ一杯になって大変なので、今年もそのままにしておくことになる。
 今後のスケジュールを考えて、文庫向け長編を書いている出版社へ、打ち合わせスケジュールを提案したら即了解された。

6月25−27日「怒涛の3日間・・・の風さん」
 25日(月)
 今朝も早起きして1時間あまり長編の執筆をした。
 午後から東京へ出張して帰りが遅くなるので、今朝は電車で出社した。勤務先の製作所は公共の交通アクセスが悪く、某駅で降りて、そこから会社の中型バスである。何となく、パートのおばちゃんを乗せていく町工場のバスに乗るような、不思議な気分だ。ところが、けっこうこのバスは、知人も利用していることが分かった。製作所長まで乗り込んでくる。
 朝一番の会議を終えてすぐ同僚の車に便乗して本社へ移動。某重役への報告をした後、昼食を摂ってすぐJRで出発。のぞみで東京まで行き、中央線で国分寺まで行った。合流した同僚二人と、そこからさらにタクシーで某社へ。
 約1時間強、そこの社長と打ち合わせをし、やっと帰途についた。
 帰宅は午後10時過ぎである。
 普通なら、これで一日はおしまいなのだろうが、そうは問屋が卸さないのが鳴海風の人生である。
 食事は新幹線車中で済ませてあったので、すぐに今朝の執筆の続きをした。そして、適当なところで踏ん切りをつけて、できたところまでの原稿を印刷用にページ設定を変更し、100枚以上の紙をオートシートフィーダーにセットして印刷実行。シャワーを浴びて書斎に戻る頃には印刷は終了していた(逆順に印刷してあるので、並べ直す必要もなし)。

 26日(火)
 実は、今日も昨日ときわめてよく似たパターンだった。
 電車で出発。会社バスで製作所へ。午前中に超高密度で業務をこなし、昼食もそこそこにまた出張。今日は、昼休み中に出るたった1本の会社バスで製作所の最寄の駅へ。
 ところが、この間にちょっとしたアクシデントがあった。『大衆文芸』7月号用のエッセイの本数が足りないので、1本書いてくれというメールが自宅へ飛び込んでいることが判明し、ケータイで調整した結果、引き受けることにした(超超超多忙なのに、よくやるよ、まったく)。
 名古屋からのぞみに乗車して、今日は同僚たちよりも30分早く東京に着いた。今日の会社の仕事は丸の内側であるので、そこで某出版社の編集者と会って、昨夜印刷した原稿を手渡しした。ついでに、立ち話で打ち合わせも。金曜日の打ち合わせへの期待が高まった。いつも通り、お世話になる編集者にお土産を渡したことは言うまでもない。
 その後、会社の仕事で、某社を訪問し、約1時間半の打ち合わせをしてから帰途についた。
 もうへとへとだったが、このまま爆睡してしまうわけにいかない。移動時間は貴重な読書タイムだ。藤原正彦先生の『若き数学者のアメリカ』を時速60ページで読む(笑)。面白いし勉強になるし感動する作品だ。お勧め。
 今日も午後10時過ぎに帰宅。
 庭のログキャビンから戻ってきたワイフが、「ゴキが出たのでスリッパでやっつけた」と荒い息を吐きながら報告。
「そりゃすごいね」と大いに感心してあげると、びっくり追加報告。
「チャバネゴキがあっちとこっちに2匹出たのよ」
「すっげぇー。ゴキ2匹同時多発テロか・・・」
 就寝前に、金曜日の「長谷川伸の会」の司会の原稿を下書きした。

 27日(水)
 今朝は6時20分に自宅をミッシェルで出発。高速を突っ走って本社へ。7時半に部長と簡単な報告兼打ち合わせをし、8時から某事業部と会議。その後も二つの会議を終えて、ようやく1段落。
 最近、セキュリティが非常に厳しくなり、ケータイを携帯していても社内での使用は限定されている。どうせ使えないのなら、とカバンに放り込んであるのだが、この1段落で、ちょっとケータイを取り出してチェックすると、ワイフからの着信があった。不吉な予感がして、キャッシュディスペンサーからお金を引き出すついでに社屋の外へ出た。
 電話の内容は重大なことだった。午前中に実家へ向かって車を走らせていたワイフが、自動二輪と衝突したというのである。
 幸い怪我はなく、既に警察への届けも終えていたのだが、ワイフのショックはまだ尾を引いていた。
 今回の事故は、横から一時停止を無視して飛び出してきた自動二輪がワイフの車の左側面に激突したので、相手の過失によるものだが、もう一つ特徴的だったのは、事故直後、相手が逃走したことである。冷静に考えてみると当て逃げされたことになる。
 ワイフの記憶や近くの目撃者の証言を総合すると、相手は外国人労働者らしく、「無免許」「バイク泥棒」「不法滞在者」・・・といった言葉が頭に浮かぶ。
 とにかく、ワイフを落ち着かせ、ディーラーまで行かせることにし、私も昼休みを利用して市内のディーラーへ向かってワイフの到着を待つことにした。
 やがて、ワイフの車がやってきて、見ると、左のドアミラーが配線だけでつながってぶらさがっているという痛々しさで、ドアもへこんでいた。ワイフは無事だったが、精神的なショックはまだ残っていた。責任は相手にあるのだし、逃げた相手は相当に後ろめたい事情がありそうだ。それに、車両保険の「一般」に加入してあるので、どんな事故であれ、自己負担はない。そんなことを言って慰めた。
 ディーラーが代車を貸してくれたが、それは私が運転することにし、ワイフにはミッシェルのキーを渡した。
 昼過ぎの会議に何とか滑り込んで、その会議が終ったあと、製作所へ移動し、そこでまた会議が連発したが対応した。
 そして、今夜も帰りが遅くなった。
 しかし、事故でショックを受けたワイフが待っているかと思うと、不憫になり、遠回りして、好物のドーナツとワインを買い求めて帰宅した。 
 ワイフの喜ぶ顔が・・・と思いきや、びっくり仰天報告があった。
「あなた。ごめんなさい。借りたあなたの車、緊張して運転したせいか、汗ばんだ手で皮巻きハンドルを握ったら、ボロボロになっちゃった〜」
「にゃにぃ?」
 急いで車庫のミッシェルをチェックすると、確かに、ハンドルの握りのあたりが吹き出物で一杯になったようにざらざらしているではないか!
「弁償するから皮だけ交換して・・・」
「あのね。このハンドルはイタリア製で全交換になるんだよう・・・(涙)」
 ワイフにとって不運な日は、夫にも伝染した。

6月28日(木)「典型的な梅雨の一日・・・の風さん」
 重たそうな雲の下、代車のデミオで出社した。
 午後8時まで会議が続き、気分も重かった。
 就寝前に、明日からの上京の準備をしたのだが、どうにも疲れていて、作業がつらかった。結局、必要最小限のものしか持って行かないことにした。服装もスーツだけ。

6月29日(金)「第44回長谷川伸の会・・・の風さん」
 5時40分に目が覚めた。老化と運動不足で体力低下が著しいところへもってきて、作家業も学業も猛烈に忙しくなってきたことで、とうとう朝型にシフトせざるを得なくなり、まあ、一時的だろうとタカをくくっていたら、体もそれに順応してきた・・・というか、これが老人型なのかもしれない。若い頃から朝型で頑張る超人も多い。私は凡人らしく夜型で、ぶったおれるまでやる方針だったが、近年、日が沈むとともに気力まで沈んでしまい、どうやら夜型の限界を超えたことを認めざるを得なかった。
 高2の次女が私よりも先に出発していった。超人的なスケジュールを毎日こなしていられるのは、やはり若さだろう。とはいえ、私も次の電車で出発。
 名古屋駅でお土産を買う予定が、電車が遅れたので、お土産どころでなく、走ってのぞみにやっと飛び乗った。車内販売でもお土産は売っていなかった。
 東京駅近くのホテルのレストランで出版社と打ち合わせをした。10月に文庫を出すのが目標である。既に渡してある原稿を読み込んできてくれたので、編集者から的確なアドバイスが連発された。どれもこれも納得できるもので、鳴海風という作家の欠点を見事なまでに抽出している・・・だけでなく、改善案まで提示してくれるので、このままバトン代わりに筆を渡してもよいと思った。
 それほど、編集者の事前準備は周到だったが、昼過ぎまでかかった。最後に、次回の打ち合わせ日程を約束して別れた。
 名古屋駅で買えなかったお土産を何とかしなければ、と思い、Dデパートの地下売り場へ行った。名古屋の有名店の出店があったので、そこでゲット。
 地下鉄に乗り換え、今夜の宿にチェックインし、必要最小限の荷物だけを携帯して、新宿へ向かった。そこで、友人とランチ。今年最初のランチで、積もる話が多かったが、語りきれなかった。
 四ツ谷の弘済会館へ向かった。今日は年に一度の「長谷川伸の会」である。
 第1部が長谷川伸賞などの授賞式で、私は今回で連続6回の司会役である。司会役は結婚披露宴の司会役とも似ていて、裏方として雑用も多い。当日にならないと判明しないこともあり、即応が求められる。
 今回の受賞者は、西川流の家元西川左近さんだった。西川流のお弟子さんたちが大勢駆けつけたので、着物を着た美しい女性が多く、会場はごった返した。150名を超える大入場者数となった。祝辞は出光興産名誉会長の出光昭介氏。新鷹会の平岩弓枝理事長の挨拶が感動的だった。どうにか、司会という大任を果たした。
 第2部は懇親会となり、司会役も交代するので、私はあとは飲んだり食ったりするだけ。こういうところでは、自分を売り込む活動(つまり新たなヒューマンネットワーク構築)をすべきなのだろうが、昨今、知人が増える一方なので、「ま、いいや」と隅っこで休養していた・・・が、毎年のように来られる三遊亭金馬師匠や、今回初めて来られた元宝塚の汀夏子さんとしっかり写真を撮った(はいはい、私はフツーのミーハーです)。それにしても汀夏子さんは魅力的で明るい女性だったなあ。
 会もお開きが近づいてくると、会場に残るのは新鷹会のメンバーぐらいになる。接客対応でお忙しかった平岩弓枝理事長と、小説作法などについてお話をうかがった。つまり、私の小説の欠点とその改善策である。簡潔にまとめれば、文学性を高めるためのアドバイスである。今後、私はそのことを強く意識して行動していこうと思う。
 平岩弓枝理事長のアドバイスで元気が出た私は、当初やめようと思っていた2次会にも出かけた。久しぶりに会う仲間と冗談を言い合い、ストレスも発散できた。
 ホテルにもその日のうちに帰還できた(笑)。

6月30日(土)「五大路子さんをご案内・・・の風さん」
 7時半に起床。8時からホテルでゆっくり朝食。9時にホテル内のビジネスセンターへ入り、無料のパソコンを独占してネット接続。WEBMAILのページを開いてメールチェック。続いて、メモ帳を立ち上げ、今週分の気まぐれ日記を下書き。これをWEBMAILに書き込んで鳴海風へ送信。あとは、帰宅してからホームページビルダーへ転記するだけだ。
 今日は、五大路子さんとデート・・・じゃなかった、旧長谷川伸邸にご案内する日である。昨年できなかったことが1年後に実現するのである。
 11時半にJR目黒駅の改札口で待ち合わせた。五大さんが先に到着していて、私が探す形になった。もしかして着物かも、と思っていたが、昨日ほどではないにしても、梅雨の一日、確かに着物は大変で、あやうく見逃してしまうような普通のお姿だった。お互い初対面なのに、あまりにも普通に会話が始まって、すぐに高福院にある長谷川伸先生の墓参に出発。どんよりした空の下だったが、五大さんは日傘をさし、遠慮する私におかまいなく、相合傘となった。
「1年経過してやっと実現するのは、何となく七夕みたいですね」
 と五大さんは最初からウキウキ気分である。私も女優さんとデート・・・じゃなかった、半日ご一緒できるので、ルンルン気分である。
 墓参は、五大さんが供花、私が香華という役割分担で準備し、桶に水を汲んでお墓に向かった。
 私が持参した零陵香が馥郁とした芳香を放ち始めると、薮蚊までが退散していくようであった。
 ひしゃくで墓石を清め合掌する五大さんをデジカメでたくさん撮影した。
 いきなり長谷川邸へ行くよりも、せっかくの機会なので、いくらか私のことも知ってもらった上で、財団法人新鷹会の活動などを予備知識として提供するため、近くのレストランへランチに入った。そこで1時間半も夢中で会話し、ようやく長谷川邸へ出陣となった。五大さんの提案でタクシーで移動することにした。
 到着すると、新鷹会事務局の佐藤さんが外で待っていてくれ、すぐに見学が始まった。石段を上がって門を入ってすぐ両側にある大木に感心したり、玄関に入ってすぐ飾ってある『一本刀土俵入り』の舞台セットや、出版社の待ち受け用の椅子とテーブルなどにも興味津々。
 書庫に案内して、横浜関連の資料が並ぶ棚では、一冊一冊抜き出しては「すごーい」を連発。
 階段を上って書斎兼寝室に入ったときは、五大さんの興奮は最高潮に達した。
「亡くなる直前までの状態がそのままで45年間も保存されてきたのですかー。奇跡みたいです」
 生前の長谷川伸や、ここでの暮らしぶりを熟知している佐藤さんの解説のお陰で、五大さんは尊敬する長谷川伸の息遣いが今でも感じられるようで、終始感無量といった状態だった。
 書庫でも書斎でも、また続く居間でも、私はシャッターを押し続けた。
 長谷川伸邸に2時間半も滞在して、五大さんは名残惜しそうにそこを出たが、「また来てもいいですか」と何度も佐藤さんに念を押していた。「もちろんです。今度はご主人とご一緒にどうぞ」佐藤さんも五大さんがとても気に入ったようだ。
 タクシーで品川駅へ向かい、そこで握手してお別れした。

07年7月はここ

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